「自分らしく」を大切にできる社会に
我が家には双子の女児がいます。
双子といっても、好きな食べ物から遊び方まで、何もかも違うふたり。
好きな色も、ひとりは薄いピンク、ひとりは濃い青。
このため、親としてはつい可愛いお揃いを買いたくなるのですが、なかなか難しい日々です。
靴もまさにそう。ひとりは「かわいい」ピンクの靴が良いし、ひとりは「かっこいい」青の靴が良い。色違い、という範囲では収まらないのです。
そんなある日。
お気に入りの「かっこいい」青い靴を、突然「もうはかない」と言い出した娘。
いきなりどうしたの?と聞いたところ、「…だって、人から『女の子なのにそんな靴はいて』って言われるもん」
ひとから言われることを気にする年齢になったのか~と感心する一方、自分を含め、いつの間にか、社会がこんな小さい子でもわかるほどに「女の子らしさ」「男の子らしさ」の線引きをしてしまっていることにハッとしました。
親である私でも、誰かに「こういう男の子っぽいものばかり欲しがってねえ(困るわ、不思議だわ)」とつい冗談のように話してしまうこと。
店に行けば、娘が欲しがるような「かっこいい」靴は男の子用の売り場にあることが多いし、洋服も、女の子向けのTシャツは女の子のアニメキャラクターばかりで、〇〇戦隊のようなヒーローもののTシャツは、男の子用として売られていること。
そういう、当たり前のように存在する「男の子らしさ」「女の子らしさ」のような社会のあり方や空気が、大人だけでなく子どものなかにもいつの間にか「常識」を作ってしまう。
その「常識」に当てはまらない人たちは、自分が好きなものを選択できず我慢したり、自分がおかしいのでは、と自らを責めたりするようになるかもしれません。
LGBTの方々の存在を尊重しようとする機運が日本でもようやく高まりつつあるなか、それぞれの個性や多様性を本当に重んじる社会を作っていくためには、生活のあちこちに存在する「〇〇らしさ」や「常識」の在り方に疑問を持ち、場合によっては見直していく必要があります。
今回のことで、多様性を尊重したいと考えつつも、まだまだ自分がそうした「社会の空気」や「常識」にとらわれていることが分かり、反省しました。
夫とも今回の件を話し合い、一緒に「他の人がどういったとしても、自分が好きな気持ちを大切にすればいいんだよ。自分が好きな靴を履いていいんだからね」と話しました。
新たな視点、学びの機会を与えてくれた娘には、感謝しきりです。